あれは、陽射しの強い夏の日の事だ。蒸し暑い空気。扇風機などは、生暖かいねっとりとした空気を躰に擦りつけてくるだけで、全く利用者の目的を果たしてはくれなかった。その点、ショップのクーラなどは、冷たくて気持ちが良かった。先程まで汗を掻いていたとは思えないくらい、冷えた空気によって、肌がさらさらに感じられる。風に当たり過ぎると躰がだるくなる扇風機と違って、気持ちの良い点だった。だが、クーラにも欠点は勿論あった。空気が乾燥するので、眼球を覆う粘膜が乾いてしまうのである。また、設定温度や内装などの如何により、デパートメントでは階によって熱い所とそうでない所が発生したりもする。
 さて、避暑の為の機器について少々語ったが、今回光を当てるのは、冷房機器ではない。無論、彼らである。


「遊戯。こっちの方が安くて沢山買えるわよ」
「ほんとだ。でも、もう一人のボクはこっちも欲しいみたい」
「色つきか。オレ、餓鬼の頃中々取れなくてむかついてたぜ」
 武藤遊戯ご一行は、クーラの利いたスーパーマーケットで、食料品売り場で屯していた。メンバは、武藤遊戯、真崎杏子、城之内克也、本田ヒロト、獏良了、御伽龍児であった。これ程色々な外見の人間が集まっていると、眼を引く光景だったが、稀有な事に、この童実野町ではまだまだ派手な人間は存在する。筆者的には中々グッド・ルッキングくんである。
 そんな事はさておき、彼らは武藤遊戯を中心に、素麺を吟味していた。主に、値段と色についてである。メーカについては拘らないと言うより、解らなかった。端の方にくっついていた獏良了と御伽龍児は、素麺を吟味しているかのように窺えたが、別の事に考えを巡らせているようでもあった。御伽に到っては、小さい采を爪で弾いては掌でキャッチしていた。筆者も経験があるが、采はただ転がしているだけでも、中々面白いのである。
「じゃあさ、半分ずつ買っていこうか。どれくらい要るかな――
 杏子は一色しか入っていない素麺の袋と三色入っている素麺の袋をぽんと仲間達に示した。

「なぁ、海馬。“流し素麺”って知ってるか?」
 吊り上がった眼をした、泰然とした武藤遊戯が言った。革張りの高級なソファに踏ん反り返ってふふんと笑った海馬瀬人が言う。
「"流し素麺"だと? …フン、あの庶民の――
「知ってるんだな? よし! 勝負だぜ!!」
 言いかけた所で、海馬瀬人は眼を爛々と輝かせた武藤遊戯に遮られてしまった。勝負と言われては、応じないという選択肢など消え失せるのが海馬瀬人という人間だった。
 その後、期待に胸をときめかせた武藤遊戯によって、仲間内に流し素麺勝負(一体何を勝負するというのか)の話が伝わった。海馬瀬人には、「麺はこっちで用意するぜ!海馬は道具を用意してくれ」と伝えてあった。城之内は海馬が流し素麺に参加すると聞いて心底嫌がっているようだったが、遊戯の「勝負だぜ、城之内くん!」という言葉に乗った。海馬は「勝負は一週間後だ、いいな。勝負するからにはオレが勝つ! ワハハハハ!!」と言っていた。仲間達の都合が気になったが、城之内のバイトのシフトも都合がついた。これで仲間達は海馬邸で流し素麺大会を催す事となった。

「どういう事だ遊戯ぃ! オレは凡骨達が来るなどとは聞いていないぞ!!」
「…別に、オレは決闘とは言ってないぜ」
「戯けた事をぬかすな! これはオレとお前の勝負の為に用意した素麺流し機だぞ!!」
 海馬は大きく手を振って背後の巨大な素麺流し機を示した。傍らには弟のモクバが立っている。遊戯は海馬の腕が起こした風圧はどれくらいかな、と思った。海馬の背後の巨大な素麺流し機(何か恰好良い言葉に置き換えて欲しい)は、恐らく読者の想像の範疇だろう、マジック&ウィザーズの上級モンスタ、青眼の白龍の融合体である青眼の究極竜を取り入れたデザインになっている。甚だ趣味の悪い――もとい、如何にも勝負する為の素麺流し機、といった体裁のデザインだった。――何だか解らないが、とにかく強そうなのである。
「何だよ、これ。趣味悪ぃな」
「何だと凡骨! これを侮辱するなど言語道断!! 貴様のような下賤者にこれの素晴らしさなど解ってたまるものか!!!」
「ンだと海馬コラァ!」
「よせ、城之内!ここでこいつ相手に掴みかかっても仕方ないだろ」
 ふん、そっちの奴の方が分を弁えているようだな――海馬は腕を組んで鼻から息を吐き出した。
 遊戯と杏子は仕方ないな、といったように苦笑し合っていた。御伽は慣れたのか親指の爪で采を弾いて掌でキャッチし、ポケットに突っ込んだ。獏良はにこにこ笑っている。
「海馬! 勝負には変わりはないぜ!!」
 再び表に出てきた眼の吊り上がった方の遊戯が海馬を見上げて言った。
「フン、言うまでもないわ! 勝負というからにはオレが勝つ!!」
「それはどうかな」
 遊戯はにやりと笑った。

「ワハハハハハ!! この素麺は俺のものだ!!!」
「フッ。それはどうかな…」
「何だと!」
 素麺流し機の傍らに立ち大声で宣言した海馬に、遊戯は先程と同じ事を言った。海馬は遊戯のこの言葉に心を掻き乱されるのだ。デュエル中に聴いては、この手で必ず倒してやる、と普段よりも強く思うのだった。
「磯野ォ! 素麺を流せ!! 今、すぐにだ!!!」
「ハ、ハイッ海馬サマ!!」
 海馬に心酔している磯野が、湯に通した後水で冷やされた素麺を青眼の究極竜を模した素麺流し機にセットした。青眼の素麺流し機とも言うべき素麺流し機は、遊戯達が持ち込んだ素麺を水と共にさらさらと流し始めた。磯野を除く全員が、箸とつゆの入ったガラスの器を持って青眼の素麺流し機の前に陣取った。素麺などつるりとして大して歯応えもないが、みんな眼を輝かせて素麺の到着を待った。
 さらさら……、素麺流し機の青眼の口から素麺が流れてきた。海馬家のメンバを除くメンバは一瞬その光景に顔の表情筋を引き攣らせた。が、剛に入っては剛に従え。このような事柄には、少々眼を瞑る事にする。心得たものである。
 すっ、流れてきた素麺を逸早く掬ったのは獏良了だった。他の者の追随を許さない、非の打ち所のない箸捌きだった。――出来る。
「おいしーい!」
 ずるずるっと麺を啜って獏良が言った。
「次はオレだぜ!」
 そう言うと城之内は流れてきた麺をすいっと掬った。へへっと笑って、ずずっと麺を啜った。麺の先についた露が撥ねる。
「やっぱり流すのと流さないのじゃ断然美味さが違うよな!」
 他のメンバも次々と流れてくる素麺を掬い始めた。
 青眼の究極竜とは青眼の白龍三体の融合体である。従って、キングギドラのように、複数、三つの首を持つ。海馬瀬人は、その内の一つを占領していた。青眼の素麺流し機の三つの口からは、同時にさらさらと素麺が流れてきている筈だが――海馬の手にしたガラスの器の中の露は、色濃かった。
「へっ、金持ちの海馬にゃこんなの取れねぇだろ!」
 別の口から流れる素麺を待っている城之内が、中々素麺にありつけない海馬を揶揄った。
「何だと凡骨! もう一度言ってみろ!!」
 一向に素麺を掬えない海馬は、瞬時にぷつんときて怒鳴った。
「兄サマ」
 傍らに歩み寄ってきたモクバが激昂している兄を呼んだ。
「…何だ、どうしたモクバ」
「うん…。大丈夫?」
「心配するな、オレは必ずや勝利する」
 ふ、と少し笑って海馬はモクバに笑いかけた。
「モクバくん! 色つきが来たよ、早く早く!!」
「え、ほんとか?!」
 杏子の呼ぶ声にモクバはぱっと顔を杏子の方へ向けて走って行った。青眼の素麺流し機は、無駄な事にとても大きかった。
「! モクバ……」
 海馬は突然の事に顔の表情筋が弛緩した。そしてすぐに、キッと青眼の口を見据えて素麺に挑んだ。さらさらと流れてくる素麺。自分と麺の距離が縮み、海馬は箸を構える。タイミングを見計らい、腕を伸ばした。箸に引っかかった素麺を睨み、海馬は素麺を持ち上げた。――つるん。
「クッ…」
 後一歩の所で、無情にも素麺は端から滑り落ちた。素麺は浅く流れる水にぽちゃりと落下し、海馬の服に水滴を撥ね上げた。
(何故だ! 何故オレは素麺ごときを掬う事が出来んのだ!!)
 悔しさに海馬は唇を噛み締めた。
『あはは、上手上手、もう一人のボク!』
「相棒との特訓のおかずだぜ!」
『それを言うなら“御蔭”だよ、もう一人のボク!』
 向こう側から何やら楽しげな声が聴こえてくる。
「ぬぬぬ…」
 海馬は何度目かのトラィをしたが、まだ掬えなかった。
「か、海馬サマ。恐れながら…」
 海馬の背後に来て磯野が言った。
「これはこのタイミングで、箸をこうして――
 こうするのです、と言って磯野が麺を掬い、つゆにつけてつるりと啜った。海馬は素直にも、磯野が素麺を食べるのを見ていた。
「やった、掬えたぜぃ!」
「お、色つき!」
 相変わらず、あちら側は盛り上がっているようだ。モクバの楽しげな声も聴こえる。海馬は惨めな気持ちになった。
「ク…」
 地団駄でも踏みそうだった。箸を持つ手が、大仰に震えている。
「…あ、もう流れてこねぇ」
「終わっちゃったかな」
 ぼそぼそと話し声が聴こえる。
「海馬!麺が切れたから終わりだぜ!!」
 心底流れてくる麺と戯れる事が出来たのか、満面の笑みでもう一人の遊戯が言った。
「つるつるしてて最初は中々掬えなかったけど――
 遊戯がガラスの器をテーブルに置く。
「冷たいし、何せ流れてくるからな。中々面白かったぜ!」
 そう言う遊戯の表情を見てみんな心がほんわか温かくなったものだ。若干二名を除いて。
「…遊戯ぃ!! この勝負は貴様に預けておく、覚悟しておけ!!!」
 そう言うと海馬は身を翻して、青眼の素麺流し機のあるフロアから去っていった。蒼褪めた表情で、磯野がその後を追った。じゃーな、と言ってモクバも去っていった。
「……何だ、あいつ」
 本田が呆れたように言った。
「へへっ!」
 鼻の下をこすって城之内が笑った。じゃーん、とばかりに青眼の素麺流し機の陰からざるを取り出した。
「お前、いつの間に!」
 手癖悪ぃな、と本田は笑った。
「…何か、単純だけど抜け目ないって言うか」
 御伽が息を吐きながら言った。
「まぁまぁ、海馬に内緒で最後喰っちまおうぜ!」
 城之内は青眼の素麺流し機に素麺をセットする。
「さすがだな、城之内くん!」
 真っ先に箸と新しくつゆを注いだガラスの器を手にしたのはもう一人の遊戯だった。

「おのれ…遊戯、次は負けん!!」
 一方その頃、海馬は長い廊下を肩を怒らせて歩いていた。彼は長身なので、大概他人と比較して歩幅が大きいのだが、今回は怒りや悔しさが要素となってスピードも上がっていたので、磯野とモクバは中々追いつく事が出来なかった。モクバなど、追いつこうという気持ちが大幅に殺がれたようだった。磯野は海馬から発せられる怒気にすっかり怯え、内股が震えていた。
 ―― 一同合掌。